3DCG系学校の制作発表等で学生作品を見たりすると、
いつも改めて思うことがあります。
一言で言えば、「なんか驚かせよ!」ということです。
学生というものは経験が少ない訳で、はじめからプロ級のテクニックを持っているはずもなく、私は学生にプロ級の作品が見れる事を、あまり期待している訳ではありません。
そもそもCGというものが持つ、あらゆる側面を満足させるものを、
初心者が短期間のうちに作れるはずがないのです。
(できるのなら、それは誰でもできることであり、お金にはならないものです)
しかしどこかで驚かないことには、採る方の心は動かない。
凡作見せられても、埋もれるだけです。
どこか1つでいいんです。
「おおっ!」とか「バカだこいつっッッ!」とまで思える何かがありさえすれば。
その輝く何かがありさえすれば、「コイツを採りたい」と思えるはずです。
、、、、、と、普通はここまでの事しか先生や先輩は言いません。
では、
その「スゲー作品」はどのように作ればよいのでしょうか?
フツーに授業を受け、フツーに課題をやって、フツーの思い入れしかなければ、
その結果はどう考えたって、幾百とある学生作品と同じ、フツーの凡作でしょう。
あなたは、周りの友達の頑張り方に合わせながら、課題を作っていませんか?
友達と同じことをやっていてはいけないのです。
友達よりも圧倒的にどこかで優れていなければいけないのです。
というか、バカがつく位にどこかで頑張らない事には、凡作以上のものはできません。
モデリングをやりたいなら、それだけでいい。
死ぬほどモデルを見てください。
死ぬほどモデルを見てください。
死ぬほどモデリングしてください。
死ぬほど、その物体の形状はなぜその形状なのか?模様はなぜそういう模様なのか?を考えてください。
生活で見えるものすべてをCGモデルに置き換えて考えてください。
そしてそれを作品に生かしてください。
アニメーションが見せたいのなら、それだけでいい。
死ぬほどアニメーションを見てください。
死ぬほどアニメーションを見てください。
死ぬほどコマ送りでアニメーションを見てください。
死ぬほど、モノが動くとは、動いて見えるのはどういうことなのかを考えてください。
生活で見えるものすべてをCGアニメーションに置き換えて考えてください。
そしてそれを作品に生かしてください。
質感やライティングにこだわりたいのなら、それだけでいい。
死ぬほどモノを見てください。
死ぬほどモノを見てください。
死ぬほど、光や色がどうやって目に見えているのかを勉強してください。
死ぬほど、リアルというものがどういうものなのかを考えてください。
死ぬほど、リアルでないということがどういうことなのかを考えてください。
生活で見えるものすべてをCGライティングに置き換えて考えてください。
そしてそれを作品に生かしてください。
「んなもん、できるかよ」と思ったなら、
それをテーマにするのは止めた方が良いです。
、、、、、と、普通はここまでの事しか先生や先輩は言いません。
では、
その「死ぬほどするべき何か」はいったいどこから見つければよいのでしょうか?
、
、
、
それこそが、
好き
ということです。
好きな事なら、どんな事でも苦にはなりません。
たとえハタから見たらそれが苦行に見えようと、
その苦行を楽しめる、その気持ちこそが”好きである”ということなのです。
あなたの人生にあったはずです。
もともと何に興味を持って生きてきたのか?
過去に熱中したものは何か?
なぜ3DCGが好きになったのか?
そしてどんな人間になりたいか?
よーく考えてください。好きだったポイントが絶対あるはずです。
、、
、、
ないですか?
なかったりハッキリしていなかったり、「CGってなんかカッコ良さそうだから」としか思っていないなら、CGはやめた方が良いです。
まちがいなく他の仕事やった方が幸せになれます。
そこをハッキリさせてから作品を作るべきです。
その”好き”の度合いが高いほど、苦行を喜んでやってしまうバカ脳の度合いが高まり、その苦行をやればやるほど、あなたの作品の、良い意味でのバカ度が上がるからです。
バカなもの=驚かすもの
選考者を驚かすもの、日本CG界をひっくり返す勢いのものを作ってください。
そのつもりでやらないと、幾百のデモリールを見てきた人間達を、
驚かせられないじゃないですか?
(10年以上前に私のブログに書いた文章ですが、普遍的な内容だと思ったので加筆訂正して載せなおしています。読みなおして思ったのですが、最近は本当にプロ級の作品を作る人が現れてますよね。そういう人は「驚かす」事を目指し、しっかり他人と違う努力と自己管理ができた人なのだと思います)